アフロ日記

日々の記録を、つらつらと。

スノーボードに挑戦

今日、スノーボードをした。

普段、ウインタースポーツはスキーをしていたが、久々に何かに挑戦したくて、10年振りにスノーボードに挑戦した。

初めてでは無いものの、10年前も1、2回やって、スキーの方が思い通りに滑れるので、結局スノーボードは続かなかった。今でも年に数回雪山に行くが、友人でスノーボードをやる人は基本上手く、友人以外と雪山に行くことは無いので、一緒に行動するために結局スキーを選んだ。

 

しかし、今日は、プライベートではなく、ある集まりで雪山に行くことになり、僕以外にもウインタースポーツ初心者がいたため、良い機会だと思い、挑戦するに至った。

 

天候は、曇り時々雪というような条件で、無事にスキー場に到着。

軽い準備運動を終え、いざ雪山へ。

とは言っても、まずは徒歩で雪山を登り、緩やかに滑ってみる。最初の感想は、

「降れる!」

決して「滑れる!」ではない。山の斜面に板を平行にしつつ、ボードのエッジの角度を緩めると自然と降る。それが出来た。

そんな僕を見て、今回ボードを教えてくれる友人は、一言「もうリフト乗れるでしょ」。

自分も出たとこ勝負だなと思い、一番上まで行くリフトに乗った。

 

リフト1回目

今回のスキー場は決して高い山じゃない。スキーなら4、5分で滑れる。

それが30分かかって降りた。とにかくこけまくる。30分間、後頭部、腰、肘、膝を打ち続けた。この時点で、肘が痛い。負傷している事がわかった。

しかし、まだまだ1回目。数をこなせばなんとかなると自分を鼓舞する。

 

2度目のリフト。

一向に滑り方を掴めない。1回目とほぼ同じ内容で、体はボロボロ。

今度は後頭部を多めに打ち、首にも影響が出てきた。

 

二回目が終わった時点で、早々に昼ごはん。

暖かいロッジで、暖かい食事をとっていると、ふと、自分はなんでこんな痛い目に合わなければならないのかと感じ始めた。

昔は兄弟喧嘩などで時々痛い目にあう事はあったが、いい歳になった今では、誰かに後頭部をガンガン叩かれることも、肘を執拗に狙って痛めつけられることなどない。(兄弟喧嘩もここまでひどくなかった)

なにが挑戦だ…大人しくスキーを滑れば楽しい日になっただろうに。そんな思いがふと出てくる。

午後からもう一度スノーボードをする気力がほぼほぼなくなり、僕の挑戦は、たった2回のリフトで砕けちろうとしていた。

 

しかし、長めの休憩をとっていると、だんだんと悔しさの方が沸き起こってきた。

このままで終わったら、体を痛めつけられて終わるだけだと。

なんとか気持ちを作り、友人に午後も指導をお願いする。

 

3回目のリフト。

友人の的確な指導により、ちょっと滑った。

 

4回目のリフト。

さらに滑った。これは降ってるんじゃない。滑っている!

 

5回目のリフト

ここら辺から、気持ちが高揚し、自己肯定感がうなぎ登り。

「俺ってできるじゃん」普段は「僕」なのにこんな時は「俺」口調。

昼食時の自分が嘘のように、ボードが楽しくなってきた。

出来なかった事が出来るようになる感覚は久々。

普段、「出来るようになった!」とか「成長した!」を実感する事はほとんどない。むしろ、全然変われない、成長しないということの方がはるかに多い。

 

6回目のリフト

時間的にこれが最後。

滑ろうとする。でも滑れない。おかしい。

最後だから、出来るようになったっていう満足した気持ちで帰りたい。

しかし、やってもやってもコケまくる。

午前中よりコケかたも上達し、それほど痛くはない。

しかしそんなことはどうでもよかった。

ただただ滑りたい!という状態で終わりたい。

でも、滑れない。

何だよ…と思いながら、この時には、とうに体の限界がきており、足に力が入らなくなっていた。

 

最後は指導してくれた友人に感謝し、帰宅。 

最後の滑りはなんとも言えない終わりかただったが、振り返ると良い時間だった。

何かが出来るようになったという実感を持つ事ができる時。スノーボードで滑る事ができるようになっても、普段の生活には良くも悪くも何ら影響しない。

しかし、何かをできるようになった。という経験を、僕は欲していたんだなと感じた。

スノーボードに挑戦することを何気なく選んだが、そんな気持ちに気づく時だった。

 

 

 

さーて、次にスノーボードするのは10年後かな。