アフロ日記

日々の記録を、つらつらと。

甥の感情

今月、姉家族(姉、夫、甥)3人が飛行機に乗って遊びにきた。

いきなり余談だが、僕はかねてから、赤ちゃんが好きである。特にボンレスハムのようにパンパンになったあの腕や足は、他のものでは変えの効かないものの一つのように思っている。

 甥のそんな時期も過ぎ去り、今では喋るし、走り回れる年になった。今回、数ヶ月ぶりの再会の時には、僕のことを「〇〇おじちゃん」と言えるまでになっていた。たったそれだけの成長といえばそれまでだが、彼の成長に心からの喜びが溢れる。そして、どうにかして、今回の家族旅行が楽しいものになればと、思った。

二泊三日、という長いような短いような時間を一緒に過ごせたのは今までにないことであった。決して大きくはない家だが、そこに泊まってもらい、結局朝から寝るまで一緒に過ごす。仕事もあるし、飛行機の時間もあるので、実質は3日間丸々というものではなかったがそれでも彼の一挙手一投足がかわいい。当然、叫ぶし、あれしたいこれしたいと、所構わず要求するわけだが、それでも何か尊いものを彼に感じるのである。

さて、今日書きたかったのは、彼の感情である。

それは、無事に帰った姉から、甥が夜に「〇〇おじちゃんは?」と言って、僕がもう簡単には会えない場所にいるということを知ると、泣いたということを教えてくれた。

この出来事は、彼にとって、僕という存在が、涙を流すほどであったと受け取っていいだろうか。そうであってほしい。彼の中で楽しい思い出と共に、僕がいることをとても嬉しく思うし、彼の初めての飛行機、初めての長距離旅行において、僕の存在を問うってくれたことを。

最近はコロナでなかなかこれまで付き合いがあった人たち、それは家族でも友人でも、仕事仲間であろうとなかなか会えないということが続いている。でも大人になり、ある程度蓄えもあり、Lccなどを利用すれば帰省もしやすくなった。帰ろうと思えば帰れる。会おうと思えば会えるとう状況はいつの間にか、涙を流すほどに、その人と会えないことを悲しむということをしない自分がいることに気がついた。それは、甥よりも何倍も、出会い別れを経験してきたし、ある意味で、一つひとつの出会いにそこまで心を割いていたら、情緒が保てないようにも思う。しかし、僕にとって「〇〇〜」と行って別れを惜しんで、涙を流すことが少ないようにも思う。時に「死」によってそれは僕にも起こり得ることだと感じているが、それはどこか甥の無知のように、僕自身、まだあの人と会えると思っている無知な自分のことも思うのである。

今回のことを通して、甥と僕の状況は違うように思えていたけども、結構同じで、会えなくなる時に、涙を流すほどにその出会い一つひとつを喜び、楽しみ、心を割いていきたいな。人との時間を愛おしみ、感謝して、過ごしたいなと、大人のことばを一生懸命なぞる甥の姿を思いながら、僕もまた自らの時間を覚えたい。

 

 

最後に一句

ボンレスハム この文章 いらなくね